今月を視る (「むすぶ」2023年8月号より)2023/08/22 15:33

「相互の関係においてすべての紛争を平和的手段により解決し、
武力及び武力による威嚇に訴えないこと」(日中共同声明)を基礎に行動を!

「問われる長崎平和宣言 防衛力強化への懸念示さず」
78年目の8月を迎えた。6日(ヒロシマ)、9日(ナガサキ)、15日(敗戦の日)。この国の8月の風景は例年と変わらないように見える。だが、注意深く見ると、微妙な変化に気づく。15日が植民地支配と侵略戦争が断罪された「敗戦の日」であるにもかかわらず、一貫して「終戦の日」とごまかし続けることは変わらないが、例年、政府の核、戦争平和政策を鋭く批判してきた長崎平和宣言に微妙な変化が現れたことを知った。テレビで長崎市長が読み上げる平和宣言を聞いていた限りでは、「変化」に気づかなかった。市長以外の知事や首相など政治家のメッセージ(いずれもVTR)が余りにも空疎で誠実のかけらも感じられないひどい内容だったからかもしれない。市長の読む平和宣言は、核抑止論を鋭く批判し、核兵器禁止条約に日本が参加(少なくともオブザーバー参加)すべきことを切実に訴えていた点で、いつものようにまともな宣言と感じたのは私だけではないだろう。
だが、「問われる長崎平和宣言 防衛力強化への懸念示さず」との見出しの新聞記事(8月10日、毎日新聞、「記者の目」)を見て驚いた。記事は『平和祈念式典で鈴木史朗・長崎市長(56)が読み上げた平和宣言は、起草段階では岸田文雄政権が2022年12月に安全保障関連3文書を改定したことに懸念を示すよう求める意見が相次いだが、直接の言及はなかった。起草に関わった人たちの「非戦」の願いが十分に反映された平和宣言だったか、私は疑問を感じている』と、今年の長崎平和宣言の背景を伝えている。私たちの「反核平和」の願いは、現実の政治との激しく厳しい闘いなしには実現しえない。そのことをあらためて思い知った今年の長崎平和宣言であった。

台湾有事で「戦う覚悟」が必要と挑発
政府にとって広島、長崎の原爆忌がもはや眼中にないことを表明するかのように麻生太郎副総裁が8月7~9日、現職の副総裁として初めて国交のない台湾を訪問。それだけでも大問題なのに、8日に台北市内で講演し、台湾有事を念頭に「戦う覚悟」が求められていると、対中戦争に備えるべきとの挑発的な発言をした。
 対中国抑止力を強調し、「今ほど日本、台湾、アメリカをはじめとした有志の国々に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている時代はない」「戦う覚悟だ」「いざとなったら、台湾海峡の安定のために防衛力を使うという明確な意思を相手に伝えることが抑止力になる」などと発言したことが報じられた。
今回の麻生の台湾訪問と大きく踏み込んだ発言はいくつもの重大な問題点を引き起こす。「戦う覚悟」や「いざとなったら台湾防衛のために防衛力を使う」との一連の発言は自衛隊が中国軍と戦うとの表明であり、中国にとっては事実上の「宣戦布告」と受けとめかねない暴言だ。実際に中国は猛反発しているが、麻生はこれまでも同様の発言を繰り返しており、中国の反発を予測したうえでの悪質な挑発であることは間違いない。
もう一つの重大な問題は、これまでの日中関係や合意がなかったかのように振舞っていることだ。日中の国際関係は1972年の「日中共同声明」「日中平和条約」を基礎に50年にわたって築かれてきた。共同声明等は「一つの中国」の了解、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」、「中華人民共和国が中国の唯一の合法政府」(共同声明)、日中両国が「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」(平和条約)が約され、両国が「相互の関係においてすべての紛争を平和的手段により解決し、武力及び武力による威嚇に訴えないこと」(共同声明)と明文化されている。台湾をめぐる麻生や政府の今回の行動、発言は「日中共同声明」等に明らかに違反している。これまで築き上げてきた国際秩序のうえに問題の平和手的解決に向けて行動する、そんな当たり前の役割を要求しよう。
「なぜ防衛費を上げるのですか」。小学6年生が岸田首相へ送った手紙にこう書かれていた(毎日新聞 2023/8/15)。みんなの当たり前の声を当たり前にあげる時だ。

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